第十九回 論文投稿からAcceptまで
ブルックリン大の幾井です。以前から議論したいと思っていた論文投稿からAcceptに至るまでの最近の兆候、そしてそれがもたらす就職への影響を述べたいと思います。
近年、大御所の雑誌に掲載されている論文を読んでいると一つのラボから出ている論文は少なく、必ず共同研究、そして共著者も2、3行以上であることが珍しくない。昔のように、学生とボスだけが著者という論文は大きな雑誌ではあまりお目にかからなくなった気がします。逆に数人の著者で、酵母の研究で論文が出ていると嬉しくもなります。著者が何十人もいる場合でもFirst authorは基本的に一人であることも心に止めておく必要があります。
この風潮はレビューのプロセスの中で科学雑誌が求めるものを単独ラボで消化できなくなっているということだということになり、我々としても生き残っていくには、あらゆる分野の研究者と交流し情報交換していくことが求められて来ています。
仮に無事に雑誌に投稿したとします。レビューを待つこと3ヶ月。再試に3ヶ月。レビューを待つこと3ヶ月。と繰り返して行くうちに一年を費やすこともあれば、大型雑誌なのでは2年のレビューの挙げ句にrejectなんていう話しもよく耳にします。プロジェクトを3年で終えたとしても論文が世の中に旅立つまでに計4−5年かかってしまうということになります。仮にrejectされてその間に競合相手に先を越されたらということもあるので、この場合は振り出しに戻ってしまう。近年は論文投稿にもかなりの金額を要するようになりましたが、acceptされたらいくらでも払いますという気分にさえなります。
ここでもう一つ議論したいのはポスドク研究者のキャリア。酵母研究であっても一つの論文を出すのに以前よりも時間がかかることは明らかで、動物実験に足を突っ込むとポスドク年数2桁ということも珍しくありません。アメリカのAcademiaで仕事を得るには最低2報は必要だろうから、どれくらいの年月がかかるかは想像がつきます。しかし、アメリカの場合、就職活動やfellowshipの申請ではPh.D.と取得後何年以内という制限が付くことが多いのです(就職の場合は公言われていないものの採用審査の時点で大きなキーになることは間違いない)。あくまで年齢ではなくて最終学歴から何年以内というくくりになっています。年齢に触れると法的に違法になってしまいます。例えばNIH R01の申請もPh.D.取得10年以内なら別枠で審査されるので、有利になります。
昨今の論文審査の厳しさ、それによってポスドク期間が伸びて来ているという背景を考えると、いかにいい仕事を早くまとめるかがacademiaで生き残って行くカギなのかもしれません。ラボ経営者も1年に数報の論文を出すことが望ましいですから状況は同じです。皆さん、論文審査でどういう経験をされているか興味がありましたのでトピックにしてみました。
投稿日: 2012年10月26日 | カテゴリー: Uncategorized | パーマリンク 5件のコメント.
谷内江@トロントです。
Amyさんありがとうございます。論文のスピードとキャリアに絡む問題はまさにポスドクトレーニング期間にあって皆さんのように独立を望む私にも超大切なトピックです。
大型雑誌、特に商業誌が派手な結果を求めるため、パワフルさを感じる多角的な視点からデータをサポートした論文を好み、その結果著者の数が膨らんでいるというのはよく目にします。力のあるラボだけがどんどん勝っていく構図のように見えますし、たぶんそうでしょうが、その力って私たちが身につけられるテクニッックなんじゃないでしょうか?
世界の情報伝達能力の低かった時代は、誰かが発表した論文を読んで他の人がその研究について知り、それを発展させた論文を発表するというような感じだったと思います。ところが伝達能力が上がった現代では、発表までに一つの論文の中でいろんなコミュニケーションを済ませておくと当然有利になります。ですからサイエンスの世界でもビジネスのようにテクニックとして情報を制し且つ自分のネットワーク力を最大限に発揮した研究者達が強そうです。
これは個人のサイエンティストがベンチの上でサイエンスを楽しむために本質的に必要なことではありませんが、現代科学では生き残るために有利な能力のように思います。現代科学の話ですから参考になるような先人も少ないですが、どうでしょうか?元々籠ってサイエンスをするのが好きで、英語が第一言語でない私には本当に精神的ハードルの高いことですが、人に会ったときに笑顔で力強く握手して、沢山話して友達になる努力をして、今度セミナーに自分を呼んでくださいと頼む習慣を持つのが自分がイニシアチブを持っている仕事でいいものが出てきた時に大きく作用すると思っています。
酵母コロキアムも私たちが今持つ本当に素晴らしいネットワークです。5年後10年後どう作用してくるか楽しみにしています :-)
データを出すスピードが論文発表までのスピードであり、ポスト、グラント、フェローシップ様々なものに直結するというのもその通りだと思います。これは簡単な解決方法はないように思います。手を動かしてただただ実直に働くのみだと思います。働きまくるのがなぜいいかという議論はスキップしますが、働きまくるのがいいと思います。
コンピューターの世界からやってきてピペットを握り始めて2年の私はなんでも「最適化」が好きで、「働く量」を「最適化」するために毎日以下の秘密の行程をやります。
– 前日の夜に必ず次の日やる実験のプロトコルを全部作る
– 過去2年分の実験ノートをひっくり返しメモした実験に要した時間からプロトコルそれぞれにかかる時間を大体見積もる
– 当日のスケジュール帳にプロトコルを最大限詰め込めるように「最適化」して配置する(同時に3つ以上は動いている様に)
– 全部の行程をベッドの中で何度もシミュレーションする
– 当日ただただスケジュール帳とプロトコルの通りに働く
平日は必ずやるようにして、土日はリラックスして、土日なのでふらっとラボに行って思いついたできることをやるようにしています。自分的には驚くほどはかどりますし、何よりとても楽しいです。私の生活は9時-5時ですが、これで体の芯から疲れることができてスポーツみたいです。その日を乗り切ると何ともいえない爽快感があって、賢く実験をデザインした自分を毎日子供を迎えにいく帰り道でほめます。
何を書いたのかよくわからなくなりましたが、何にしても私が思うのは、笑顔で沢山握手をして、自分の立てたゴールに向かって兎に角実験しまくるというのが調子いいんじゃないかという事でした。
吉田です。
谷内江さんの「働く量」を「最適化」するための秘密の行程、いいですね。
学術雑誌の格付けと審査は気になる問題です。
図書館で新着雑誌を読むことが情報収集の主流だった20世紀には世界中で最も読まれているNatureや Scienceに論文を載せることが研究成果の一番の宣伝になったわけですが、論文検索が容易な現在、どの雑誌に論文を発表しても研究成果のインパクトは変わらないはずです。建前上。
それでも学術雑誌の格付けが厳然として残っているのは
(一流紙の論文=厳しい審査をくぐり抜けた)
という信用度のためだと思われます。
理想はどの雑誌に発表されたかではなくそれぞれの論文の内容を読んでから評価を下すことでしょうが、少しでも分野が違うとその論文の新規性やクオリティを正確に評価することは困難です。まして研究費/Jobの応募者の業績リストにある論文を全部読むなんて審査員には物理的に不可能です。そういった意味では雑誌の格付けやブランド名は(少なくとも審査する側にとっては)ありがたい存在でもあります。
結果として、科学者として成功するためには「インパクトのある仕事をハイクオリティで仕上げて一流紙にねじ込む」というのが求められることになるのですが「いい雑誌に載せるためにいたずらに時間と労力をつぎ込むことになってしまう」のは本末転倒な気もしています。
若い研究者への過度のプレッシャーや論文捏造が目立つようになったのには過度な一流誌指向にも一因があるように思います。では雑誌の格付けをなくす方法、また雑誌の格付けがなくなったあとの業績評価方法はどうすればいいのか?
どこかで議論してみたいですね。
守屋です。
吉田さんが書かれた「インパクトのある仕事をハイクオリティで仕上げて一流紙にねじ込む」。この「ねじ込む」ところで、谷内江さんが書かれたように「発表までに一つの論文の中でいろんなコミュニケーションを済ませておく」ことが重要(かつ私に足らないところ)だと、最近ひしひしと感じています。
その為には、いろんなコミュニケーションをするチャンスをもてる「場」にいることがとても重要。言い訳になりそうですが、日本の地方都市からそれをどうやってやっていくのか、悩んでいます。
ちなみに、最近見つけたんですが、PIになりたての人、PIを目指すポスドクの「practical guide」が以下のページにあります。
http://www.hhmi.org/resources/labmanagement/moves.html
今回の話題に関連することが結構書いてあります。
谷内江@トロントです。
このHHMIの本HHMIから無料で送ってもらえます。私も持っています。とてもよい参考書だと思います。
Ikuiです。
Making on the move/HHMI
At the Helm/CSHL press
ラボ独立にあたって読んでおいたほうがいいと思う本です。
「場」を求めるために国際学会への参加は非常に意味があるものだと思います。