カテゴリー別アーカイブ: 酵母研究エッセイ

第十六回 酵母研究における生化学、それにつづくグローバル解析

(投稿:守屋さん@岡山大)

先日の、コロキアム第一回会合(飲み会?)で話題になったことについて今思うことを書いてみます。会合で吉田さんが主張したのは、「Geneticsは嘘をつかない。白黒ははっきりしている。生化学は一方でグレー。」というものでした。生粋のGenetist吉田さんらしい意見だと思います。このエントリーでは、(現代の)酵母研究者にとっての生化学と関連するグローバル解析について考えてみたいと思います。だらだらとした長文であることをお許しください。

前のエントリーでも書いたかもしれませんが、日本の酵母研究の父の一人である大嶋先生は、「酵母がもつ(他の生物にはない)強みは遺伝学である。」とおっしゃいました。私もこれに反対するつもりは全くありません。Yeast2012に参加していても(この学会がGenetic Society of America主催であることはさておき)、他の生物の追随を許さない強力なGeneticsの力、現在はGenomicsがこれに加わっていますが、を見せつけられます。

強みがあるのだからこれをとにかく使う、というのは当然の戦略です。ただ、私はGeneticsに頼りすぎて、実はそんなに難しくないBiochemistryから酵母研究者が遠ざかりすぎているのではないかという懸念も感じます。私は十数年前に、いまはなき三菱化学生命研でポスドクをやったのですが、その面接でGeneticsの学位論文の仕事を発表したときに、当時の所長だった永井克孝先生に、「Geneticsは点、Biochemistryは(その点をつなぐ線)」だと言われました。

そのせいではないのですが、生命研での仕事は、未知のプロテインキナーゼを、活性をたよりに酵母から精製するというものでした。そのとき当時のボスの酒井明さんが引用されていたのは、2003年になくなられたIra Herskowitz氏が学会で言われた(らしい)「これからは酵母研究者は生化学をしなければならない。」という言葉でした。私は一年かけて酵母の細胞抽出液からカラムクロマトグラフィーをやってキナーゼを同定しました。もちろん、このキナーゼ存在はその前のGeneticsがなければ予想できないものであり、キナーゼ活性のアッセイ系もGeneticsから得られた情報から構築されたものでした。まさにGeneticsで点をうち、Biochemistryで線を繋げたという感じです。

けれど私がやったこのBiochemistryは、ほんとうに酵母の強みをいかせるものだったのか?

その答えが私がキナーゼを精製した一年後に明らかになりました。こないだの会合では「Crappy Collection」といっていましたが、Eric Phizickyのグループが酵母のGenetics(Genomics)とBiochemistryをつなぎました。すべての遺伝子をプラスミドにつなぎ、それぞれに精製用のタグであるGSTをつけたのです[1]。これでGSTで精製したタンパク質の活性を測り、そのタンパク質を発現する遺伝子を持ったプラスミドをたどるだけで遺伝子が同定できます。私はのちに、留学先で同様のMike Snyderのグループが作ったCollection [2]を使って、わずか2回のアッセイで上記のキナーゼともう1つのキナーゼにたどり着いたときには愕然としたものです。

こういう便利なツールができたことは、酵母の強みをさらに高めましたが、ゴリゴリの生化学からは酵母研究者を遠ざけてしまったとおもいます。まあそれはそれでいいのでしょうけど。

一番はじめの話題に戻りますが、酵母の研究者がやる「Biochemistry」は、in vitro酵素活性測定はほとんどやらず、プルダウンなどの相互作用が中心です。これはグレーかもしれません。しかし私は、酵素活性を伴うBiochemistryは、それこそ決定的・とどめとなるデータだと思います。だからもっと活性測定をやりましょうということになるのですが、活性測定ができるタンパク質がターゲットでない場合には難しいですね。

なんだかまとまらないエントリーになっていますが、最後にもう1つだけ。こないだの会合で、Snyder氏の仕事に対して再現性の点で疑問が差し挟まれていました。ただ私の意見としては、GST-fusion collectionにもみられるように、Functional Genomicsの歴史を開いた彼の功績は大きいと思います。彼のグローバル解析に対する評価は、会合でさらに話題になったように、グローバル解析はどれくらい「完全」なのか(例えばノックアウトコレクションには何%間違いがあるのか)ということと関係が深いように思います。これは「ゲノム解析の塩基配列決定のミスがかつてどれくらい許されたのか」、という歴史に近いようにも思います。

今日の谷内江さんのすばらしいトークにもありましたが、CompleteなFunctional Genomicsというのはあり得るでしょうか?今ちょうどトロントのグループのトークでもやっていますが、「そのグローバル解析は、スクリーニングのために行われているのか、完全なランドスケープをみるために行われているのか?」。得られた個別のデータをどこまで信じていいのか。そういうことを評価する軸が必要なのかもしれません。例えば、これまでに既に知られているインタラクションが「得られなかった率」はどれくらいなのか、という評価です。

この評価は、グローバル解析をやる方にとっては恐怖であり、コストも大幅にアップするのでさけたいでしょう。したがって、この評価は、あくまでそのデータやリソースを使う側がそれをどれくらいの信頼度で使うかという「指標」として冷静に用いるべきでしょう。グローバル解析のために作られたデータやリソースは、作った側としてはもうけ度外視で提供しているものです。作った側としては、「Crappy Collection」などとは呼ばれなくないでしょう。最後はNBRP-yeastにgTOWコレクションを提供している立場としての言い訳っぽくなってしまいました。

[1] PMID: 10550052
[2] PMID: 11474067

第十回 酵母と進化研究

守屋@岡山大学です。

あけましておめでとうございます、というにはもうちょっと遅いですね。今年もよろしくお願いします。

今回は「進化研究」について書いてみたいと思います。私個人の歴史的見解から申し上げますと、私はこれまで随分と進化研究を毛嫌いしてきました。留学先の私のボス(Mark Johnston)も、進化の研究は「本質的にダーウィニズムで完結している」といってました。更に大きな問題は、「進化を本質的に実験的に再現する事は出来ない」というフラストレーションです。

「試験管内で進化を再現した!!」などといいますが、変異と選択で生物を何らかの方向に変化させる事が出来たというものが大半であり、それは確かに「進化」ではあるのかもしれませんが、生命が誕生してから(どうやって誕生したかも問題ですが)、それがどのような過程をへて今の状態になったのかという事はもちろん再現できません(思いを巡らす事は出来ますが)。

ですが最近この考えが変わってきました。単に私が無知だったというだけの事かもしれませんが、酵母の国際学会に出ていても、進化研究に対する酵母研究者の姿勢が変わってきたのではないかと感じるのです。

最近、Genetics誌に「YeastBook」として、酵母研究のレビューの連載が始まりました。その1回目「Yeast: An Experimental Organism for 21st Century Biology」において、Botstein氏とFink氏が、進化研究にも言及されています(短くではありますが)。

進化研究に再び注目が集まりはじめた理由の1つとしては、この論文にも書かれているように、「Whole genome sequencingやマイクロアレイ技術によって、ゲノムに生じている変化を詳細にとらえられるようになった事」、があげられるでしょう。しかし、私はこれ以外に研究者を進化研究に引き寄せている理由があると思います。

それが、「システムバイオロジー」です。

システムバイオロジーによって生命をシステムレベルで理解しようとした時に、最も重要な視点の1つは、「生命システム設計の原理」を知る事です。特定の生命システムが「何に最適化するように作られているか」、を知らないと1つ1つの要素の存在意義が説明できません。

システムバイオロジーの中心的な研究テーマである「ロバストネス」の発揮の原理を考えるとなおさらです。このシステムは、どのような摂動に対してロバストに出来ているのか?その為にどのような最適化を行なっているのか?またその事によって生じるであろうデメリット(トレードオフ)はどのように回避されているのか?van Oudenaarden氏の酵母のガラクトース感知系の一連の研究などはこの典型的な例だとおもいます。

この時、生命システムは当然ながら長年の進化の歴史によって紡ぎ上げられたものですから、進化の事を考えない訳にはいきません。つまり、システムバイオロジーを突き詰めると進化に進まざるを得ない運命があるともいっていいでしょう。“Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution”という言葉がある通り、生物学というのは進化の視点がなければ正しく理解できないのですが、システムバイオロジーではこの傾向がより顕著なのではないかと思うのです。

酵母を用いて進化が議論されている研究、最近の例でいえば、Andrew Murray氏の多細胞化の起源についての研究があります。

ちなみに、「進化研究は、生物学の中でも基礎中の基礎なので研究費がつきにくい」という考え方があるように思います。ただ現在の傾向として、「進化を知りそれをコントロールする」ことにより生命を操作したり、疾患を治療したりするという視点が生まれつつあるように思います。これもシステムバイオロジーの発展と不可分に思うのです。

余談ですが、私は、酵母、その中で特に出芽酵母を進化研究に向かわせたのには、もう1つの理由があると思います。それは、Whole Genome Duplication(WGD:全ゲノム重複)です。これについては、また稿を分けて書いてみたいと思います。

というわけで、今回は(私の場合はいつもかもしれませんが)、エッセーというか思いつきを書きなぐってみました。皆さんのご意見、反論お待ちしています。